嵐酔水墨画書道教室 東京・渋谷表参道/恵比寿、銀座で学ぶ水墨画と書の世界 ~Ransui's Sumi Art class
渋谷恵比寿と表参道で学ぶ本格的な水墨画と書の世界 心の模様を素直に墨と筆に託して思いを伝える そんな教室の様子 水墨画と書の文化を活動を通して発信中
鋭い心眼をもて 玄人の筆とは

上級課題へと進まれ絹本画法の水墨画に挑戦をされている門弟。熱心さが大切である。
暑中のお見舞いを申し上げます。どうぞ日頃の暑さにお体をくれぐれもご自愛のほどを。
さて、今日のお話は「学ぶ側教える側は常にに心眼をもて!!」ということ。
心眼とは、何が本質であるか。何が本物であるかということが見極められるそういう心の視線である。
我が教室を運営し、日夜指導をする私にとって生徒さんはお客様である。そこをきちんと把握すれば適当な技術力で安易な指導で指導を繰り返しているような指導者ではだめだということだ。
ちまたには、私もなんどか見学をしたこともあるが、技術力のそぐわない未熟な指導者も多く、どうしてこんな
指導で指導をつづけていおるのかといいたくなるような方も多々だ。
なぜか、研究を自分からしていない。指導者だからそれで満足といった心があるからではないか。
とある、私の知り合いの先生は指導者でありながら見事な指導をしている。
それは、生徒さんの問題をいち早く見つけ何が問題なのかをよく見極めたうえでその日のカリキュラムを組む そして
確実に生徒さんの技術を伸ばして帰宅させる 追及する姿勢が半端でない。
またそれでいてすごいのは、決まった時間もあるにもかかわらず時間外になっても生徒さんがやる気のある人ならば無心になって指導を続け納得をさせて帰宅させている。
これこそ、指導を生徒さんのためにのみささげている有能な指導者だ。
私もそのようなやり方をしてはいるがさすがその先生の指導にはおよばぬ。
指導者、それは新たなカリキュラムを次から次へと指導をだけして、わけもわからぬに納得もしていないに生徒さんに有無を言わせず自分流に進める指導者はしいていえば指導をしている形だけに酔っているだけだと。その先生もおしゃっている。
また、本来指導者はすべてのことにおいてふさわしい技術力をその場で紹介できるほどの力の持ち主でない限り
指導者ではない。
我が友人の王子江先生などはすばらしい技術力とまた指導者として非常に高い能力 また生徒を引き付ける魅力を持っている。
私もその先生を手本として日々訓練し、本質的な指導 また生徒さんからみて一番だといわれる指導者になることに神経を注ぎながら、本物を見る心の眼「心眼」を鍛え続けている。
巷世間には、同じ業界の人とも結構、展覧会や懇親会でお会いすることも多いが作品をみて本当にこの方は指導しているお立場の方かといいたくなるような人も多い。そちらのほうが多いかもしれない。
われわれの指導という世界に生きるものは、常に自分が先頭に立ち磨きをかけまくらないといけないし、本物の芸術
つまり誰がみても玄人の研ぎ澄まされた作品を自ずと見つけることのできる心眼というべき能力を備えないといけない。
それは教える側も教えられる側にも必要な素養であると思う。
書道の世界でも最近は多くなった。それは2,3年足らずで師範獲得などというフレーズ。まったくもって皆無にひとしい。
技術の習得などというのはそんなにあまいものではない。
その結果が皆無に等しいと言わざるを得ないのは玄人と呼ばれる本来何十年も筆をもって研鑽しそれなりに評価している先生方は安易な絵や書を書いて見せようとしない。やはり、見たらわかるし、見せればこの人の作は相当な鍛錬の賜物であるとよくわかるものである。
だからそういう方は簡単で誰もが題材にするようなものを描かないしやはり一目も二目もおかれるそういう技術の高い作品を見せてくれる。それがさすがの玄人の立場ではないか。

中国遼寧省鞍山市美術家協会 理事の先生の揮毫風景 沈黙の中にものすごい気が流れている。描かれる作品がみなぎるすべての力が筆一本に託され思いのままの作品が浮かび上がってくる。 さすがとしか言いようがない。
だからこそ、それを玄人の作だとわかるだけの心眼を身に着けることもわれわれには必要なことだとは思うのだが。
我が教室は、やはり他会から編入されてくる人も多いのだがやはり、体験に来られるひとで入門されてくる人は一味違う。
それはその人に見る目があるということかもしれない。
やはりきっちりと指導をしないといけない気分にさせられる。しいていえば、私にとっての腕試しの体験であろうか。
これからも周りの生徒がどんどん伸びていく今の環境の中で、中途半端な指導は許されない。
指導は、あくまでも生徒さんの要望を聞いていくのも必要だが、しっかり基本を徹底させ、常に指導者は生徒さん以上の上の高い研ぎ澄まされた能力と技能をもってその人一人一人にふさわしい指導を処方していくそういうものでないといけないと感じている。
学ぶ側学ばれる側に求められる心眼 しっかり身に着けてお互いがチェックされるようなそういう厳しい環境が必要だ。
多くの学ぶ生徒は指導者と名がつけばそれが正しいものだと思っているがまったくもってそうではない。
本物の力がある人か否か そこをまず見極められるそういう心の眼を育てることが必要でそのためにも多くの古来よりの
研ぎ澄まされた技法的にも高い名品を見て研究を重ねていただきたいと思う。
心眼をどのようにとらえるかは皆さんしだいですが・・・・

見事な筆致を見せる秋田水墨画協会会長 卓吾先生 さすがにすばらしい。

本物の玄人の筆さばきは一流の剣豪が剣をふるうぐらいの強烈な印象がある。切れもある。これが玄人というべき姿であろう。 私のよきお手本であります。 NHK元水墨画講師 王子江先生の人物作画中

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